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迫力!
技術力>人の命。 は零戦と同じ構図に見えます。
激しい揺れが収まったので、あなたは顔をあげてリニア新幹線の車内を見回した。乗客はみな無事だった。
ここはどのあたりだろうか。
山梨県の地上駅を過ぎて名古屋に向かい、トンネルに入って数分したところでアナウンスがあった。地震警報システムが作動して緊急停止すると告げられてあなたは座席にうずくまった。息をのんで4~50秒、身を固くしたところで列車は停止した。停車した車両は激しく揺さぶられ、今ようやく揺れが収まったところだ。
多分、ここは南アルプスの山岳トンネルの中だろう、あなたが息を長く吐いた。それと同時に車内の灯りが消え、闇に閉ざされた。生きてここから脱出できるのだろうか。
あなたは運が良かった。もしこれが活断層の上を走行中だったら軌道はねじれ、隆起、沈降して時速500キロで疾走していた列車は破断してしまったかもしれない。列車が損傷をまぬがれて無事に停止したとしても崩壊したトンネルに埋まっていたかもしれない。
闇に慣れた眼に灯りが近づいてきた。サーチライトを手にした乗務員だった。乗務員はトンネルがあちこちで崩落して走行はできないこと、停車してまもなく通信が途絶えたこと、ほぼ5キロごとに用意されている非常口から脱出して地上の安全な場所まで誘導すること、持ち物は貴重品だけ身に着けて退避して欲しいと告げた。
あなたはスマホの灯りで足元を確認すると、全長400メートル16両編成の列車から降りた。保守点検用の幅1メートルの側方通路を700人ほどの乗客と共に列を作って歩き始めた。乗客のスマホの灯りが点々と連なり、まるで夜行虫がつくる航跡のように見える。
壁面から噴き出している水を浴びてあなたは首をすくめる。生きてここから脱出できるのだろうか。
あなたは運が良かった。亀裂に足をとられることもなく、崩落した土砂に行く手を阻まれることもなく、噴出した地下水の激流に襲われることもなく、本抗に先立って掘られた先進抗を経由して、あなたは30分ほどで地上非常口への登り口に着いた。
ニシマタという呟きがさざ波のように前列から広がってきた。
先頭の乗務員が、ここは西俣非常口であること、これより地上まで3.5キロほど斜坑を登ることになると告げると、最後尾の女性乗務員が大丈夫、もう大丈夫よと声を張り上げた。その声を諫めるかのように、遠くでごーっと地鳴りがした。あなたはしゃがみ込み頭を抱える。これで2度目の余震が10秒ほど続き、壁面のコンクリート片が音をたてて剥がれ落ちた。
あなたはうずくまったままの高齢者を抱き起こし、かなた先にあるはずの出口を見上げてから、ゆっくりと斜坑を登り始める。
「3.5キロって、1時間くらいですかね」
「そうですね、3時には地上でしょうか。」
「つながりますか」
「ダメですね、あなたは?」
「もう電池切れです」
壁面からシャワーのように吹き出ている水を両手で掬い、あなたは喉をうるおした。寒い。あなたは背中を縮めた。生きてここから脱出できるだろうか。
あなたは運が良かった。いくつもの地層が交差してもろいと指摘されていた長い斜坑は崩れ落ちることもなく出口まで続いていた。季節も幸いした。もしこれが冬であったら標高1535メートルの西俣非常口は雪に覆われていただろう。今は秋、時刻は午後3時過ぎ。あなたは長袖に薄手のジャケットで肌寒いだろうが凍える心配はない。
とはいえ、ここは南アルプス赤石山脈の山奥だ。崩れたばかりなのだろう東の斜面が大きく剥げ落ち、茶色の地肌をむき出している。次々と脱出してきた乗客は保守作業員用の宿舎前に集まり座り込んだ。しばらくして、メモを持った乗務員が宿舎から出てきた。
乗務員は断片的な情報であると前置きして、地震は巨大で被害は広域であるらしいということ、どことも交信が取れていないこと、ここから8∼9時間歩くと集落があるが、大井川沿いを下る集落までの林道が通行可能か否か不明であること、車両での移動は期待できないとメモを読み上げると、一同を見まわし、こう続けた。
今夜はここの宿舎で待機してもらうが700人全員の収容は難しい、健脚な人はここから一時間ほどにある山小屋・二軒小屋まで下ってほしいと言葉を切った。その時3度目の余震が起きた。剥げおちた斜面を転がる落石の音が谷にこだました。あなたはこぶしを握りしめる。生きてここから脱出できるのだろうか。
あなたは運が良かった。二軒小屋まで先行すると決めた200人ほどの乗客は西俣川沿いの林道を下った。途中、残土盛土が崩れて林道を塞いでいたが、手を取り合って乗り越えることができた。気が付くとズボンが破れ膝頭に血がにじんでいる。もう何度目になるだろうか、あなたはスマホを開いた。液晶画面が光り、緊急ニュースのタイトルだけが浮かんで消えた。読み取れたのは“マグニチュード9・0” “南海トラフ大地震”のメッセージ。
家族は無事だろうか、山小屋の食料備蓄は充分か、林道の復旧はどうなる、他のリニア新幹線の消息は、スマホの充電はできるだろうか・・次々と襲ってくる不安にあなたは身震いして、また歩き始める。
午後4時半、二軒小屋のロッジが見えた。陽が西の悪沢岳に隠れると風が吹き抜けた。ヘリコプターだ。あなたは大きく手を振った。ジャンプした乗客もいた。ヘリは判ったと言うように旋回して東の空に飛び去って行った。
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本稿は以下を主な参考資料にしました。
●石橋克彦神戸大学名誉教授著「リニア新幹線と南海トラフ巨大地震」集英社新書2021年6月刊。
●JR東海HP「リニア新幹線 万が一の異常時における避難誘導」
https://linear-chuo-shinkansen.jr-central.co.jp/about/emergency/
(上の図は石橋克彦著「リニア新幹線と南海トラフ巨大地震」114頁)
2022・10・10 記 文責 山本喜浩