水を守る・森林編 第1話―オランダ・秋田杉・安藤昌益―
- 2023/04/05
- 19:33

なんとも奇妙な絵ですが、現代のポップアートではありません。
ざっと500年ほど前、ネーデルランド(オランダ)の画家ヒエロニムス・ボス(注1)が描いた「快楽の園」の一部を拡大したものです。
「快楽の園」は聖書を題材にした宗教画です。三連からなる祭壇画で、左にはアダムとイヴが誕生したエデンの園、右にはいわゆる罪人が堕ちる地獄、そして中央に禁断の果実を食べてしまった男女が全裸で享楽に耽る「快楽の園」が描かれています。下がその快楽の園の全体図です。
拡大してご覧になってください。
よくよくみると奇妙さが際立ちます。奇天烈な建物、異形の動物たち、大きなイチゴと共に全裸の男女が享楽に耽っているようですが何をしているのかは意味不明です。
どう見ても、聖書の世界ではありません。
ボスはこの絵で何を訴えたかったのでしょう。
ボスがこの祭壇画を描いていたちょうどその頃、ミラノではレオナルド・ダヴィンチが壁画「最後の晩餐」に取り組んでいました。当然のことながらルネッサンスの人間開放の潮流はネーデルランド(オランダ)の地にも届いています。
またドイツ発の宗教改革の激震がヨーロッパに広がり始め、既存の教会を頂点とした社会構造がぐらつき始めた中世の転換期です。そんな時代がこの謎の祭壇画を誕生させたと言えなくもありません。
快楽の園を潤す潤沢な水はどこから
ただひとつ、この絵には理にかなったところがあります。
お気づきでしょうが、画面中央には快楽の園を潤す大きな湖があります。湖には4本の川が流れ込み、その奥には森が控え、水源である広葉樹の深い森が快楽の園をぐるりと取り囲んでいます。
奇才の画家ヒエロニムス・ボスは命の水をはぐくむ森の大切さを分かっていたのでしょうか。
実はこの時代に森林を風景に取り込むことは稀でした。森林を美しい風景として絵画に描くようになったのは18世紀後半からだそうです。人が管理できる安全な地と認識されて、初めて絵画の後背に森林が取り込まれたという訳です。しかしボスの1500年頃、森はまだまだ魔女や妖怪が棲む異界の地でした。
この快楽の園が完成するほんの少し前1492年、コロンブスが新大陸を発見。大航海時代が始まり、各国は大型船の建造を競い合い木材需要が一挙に高まります。特に船の竜骨に使われる巨木が伐り出されました。森林受難の始まりです。
(天然秋田スギ 秋田森づくりサポートセンターHPから)
江戸の社会主義者、江戸のアナーキスト、日本最初のエコロジストなどと称される安藤昌益です。
昌益は1703年秋田大館の豪農の家に生まれ、元服すると京都に上り医術を学び八戸で開業。その後大館に帰郷して村民の治療にあたっています。
一介の町医者に過ぎない昌益でしたが、1753年刊行の「自然真営道」(注2)などにおいて、徹底した男女平等を訴え、農業を基盤とした身分・階級のない平等社会の実現を理想として掲げました。
封建制度まっさかりの江戸中期です。書籍の刊行にあたっては藩や幕府の目を逃れるために細心の注意がほどこされたと思われます。
山林を荒廃させる鉱山開発
そんな安藤昌益は秋田藩の鉱山開発を痛烈に批判しました。金銀銅を求めての鉱山乱開発により、
「山は崩れやすく、川は埋もれやすく、木は生えにくく、水は湧きにくくなる」ため、開発を中止すべきだと訴えています。
更に、山林を伐採しての鉱山開発は、
「大気は濁りやすく、異常な気が発生し、人は病みやすくなる」と警告しています。
実は、当時の秋田藩にとって秋田杉と金銀銅の鉱山資源が藩財政を支える二大産業でした。豊臣秀吉が伏見城を建城するにあたり秋田杉の供出を求めたように、秋田杉は広く世に知られ各地に販路を広げていました。
豊富な鉱山資源は江戸初期に発見され、秋田藩にゴールドラッシュが巻き起こります。後に東洋一を謳われる院内銀山などでは、わずかの間に秋田城下の1万人をしのぐ1万5千人の労働者が集まったそうです。
(院内銀山跡地 秋田県湯沢市HP)
このような鉱山開発が引き起こす環境破壊の惨状を目の当たりにした昌益は、貨幣経済の行きつく先を予見するかのように、
「金銀の採掘を止めよ。人々の欲望をかきたてる金銀の通用を止めよ」とまで言っています。
21世紀に至ってなおこの日本に、石木ダムや川辺川ダム建設案などが存在することを昌益が知ったならば、驚愕するのではないでしょうか。
森林とユートピア
もしも安藤昌益が自らの理想郷を絵図にしたら、どんな絵を描いたでしょう?
ボスと同時代に活躍した英国の思想家トーマス・モアは1516年に「ユートピア」を刊行していますが、その挿絵に描かれたユートピアは海に囲まれた島でした。昌益ならば深い森に囲まれた理想郷を描いたのではないでしょうか。
ちなみに下の絵図は「快楽の園」の右面に描かれている地獄の一部です。欲望にかられた人々が堕ちる地獄には命の水を育む森はありません。
しかし、ボスの奇才ぶりは地獄絵で爆発、観る者の心を掴んで放しません。
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注1)ヒエロニムス・ボス:1450~1516年。快楽の園は1500年頃の作品と推定されています。次世代のオランダ画家ピーテル・ブリューゲルが多大な影響を受けていることは周知の通りですが、20世紀のシュールリアリズム絵画、特にサルバドール・ダリはボスの作品から多くの着想を得ていると言われています。
注2)自然真営道:刊本「自然真営道」の他に昌益の弟子がまとめた遺稿「自然真営道」101巻がありますが、関東大震災で殆どを消失しました。しかしその後多くの関連本が発見され、現在では昌益思想の全容はほぼ解明されています。
下が三連の祭壇画「快楽の園」の全体図です。幅390㎝高220㎝。
スペインのマドリッド美術館に展示されています。