下水とノロウイルス 水物語(下水編2)
- 2020/04/14
- 23:58

下水とノロウイルス 水物語(下水編2) 清井瑞夫
新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。
2019年12月、中国の武漢市(緯度は日本の鹿児島県種子島とほぼ同じ)で発生し報告された新型コロナウイルスによる感染は、2020年に入ってから全世界に広がり、現時点(2020年4月)では終息の見通しがたっていません。世界および日本の感染者数・死亡者数は毎日報道されています。手元にある4月10日の新聞が掲載した感染者数は表1のとおりです。第一次世界大戦ごろのスペイン風邪による大量死を思い起こさせます。
スペイン風邪: 1918年1月から1920年12月まで世界中で5億人が感染。死者数は数千万人との推計もある。人類史上最悪の感染症の1つ

表1 世界の新型コロナウイルスの感染者数
(読売新聞2020年4月10日朝刊)
*4月14日現在で世界の感染者は200万人を超え、死者は12万人に達した。
今回の水物語(下水編)は、新型コロナウイルスとは直接的な関係はありませんが、下水と密接に関係するノロウイルスについて考えてみます。
ウイルスとは
赤痢・肺炎・脳炎・出血熱などの感染症は致死率が高い病気です。その病気の原因は目に見えない病原体です。19世紀のロンドンではコレラ菌による感染が蔓延し、患者の半数は脱水症状で死亡したといわれています。このコレラ菌は細菌であって、ウイルスとは違います。どこが違うのでしょうか。一般に細菌は人工栄養培養液で比較的簡単に培養できます(ただし、中には培養が難しい細菌類も報告されています。)。それに対してウイルスは生きた細胞にとりつき細胞内に侵入することでしか増殖ができません。大きさも細菌類に比べてかなり小さく、光学顕微鏡では見えません。大きさのイメージを図1に示します。

大腸菌の遺伝子数は4000、それに比べてウイルスの遺伝子は10前後で非常に少ないです。ウイルスは感染力の本体の核酸(DNAやRNA)、それを保護するタンパク質や脂質で構成される単純な化合物です。ウイルスは生きた細胞の仕組みを利用して増殖しますが、タバコの葉に感染してモザイク状の壊死斑点をおこすウイルス(TMV)が1935年に結晶化されたことは驚きをもって報告されています。結晶とは分子が三次元的に規則正しく配列しているということです。生物ではないが、さりとて全くの無生物でもない、生命と物質の境にあるものがウイルスといえます。
ウイルスの種類はどれくらいあるのでしょうか。ウイルスはヒトや動物などの細胞内で増殖しながら絶えず変異しており、実態を正確に把握することは難しいですが、微生物学の本では3万株をこえると書かれています。ウイルスの形は多面体、らせん状、フィラメント状、球状などがあり、コロナウイルスは王冠(ラテン語でcorona)の形をしています。
下水とノロウイルス
ノロウイルスは嘔吐下痢症の流行を起こすウイルスで、その名前は米国のオハイオ州の地名Norwalkからの造語ということです。1968年にオハイオ州ノーウォークという町の小学校で集団発生した急性胃腸炎の患者の糞便からウイルスが検出され、発見された土地の名前を冠してノーウォークウイルスと呼ばれました。その後、2002年に国際ウイルス分類委員会でノロウイルス属に分類されました。
ノロウイルスが口から入ると小腸で増殖します。そこから下痢便で水洗トイレへ、トイレから下水道へというルートで水系に流れこみます。このウイルスは通常の下水処理方法では取り除くことは難しく、しかも丈夫なので環境中では壊れないまま拡散していきます。下水処理水は、川や沿岸部に放流されますが、その放流水は海に流れ着きます。
海の浅場にはアサリなどが、岩場にはカキが生息しています。貝類は海水をろ過して餌のプランクトンを取り込みますが、ノロウイルスも貝類に蓄積されます。ノロウイルスの多い海水に生息する貝類を食べれば、ノロウイルスが体内に入り下痢を起こします。ただし、熱には弱いウイルスなので、加熱処理すれば下痢のリスクは小さくなります。
前回の水物語(下水編)では、下水道に起因する水質汚濁の問題の一例である「お台場の大腸菌」、「東京オリンピック・パラリンピックでトライアスロンのスイミング会場になるお台場の水質と下水道の関係」について考えていきました。ヒト糞便に存在する大腸菌は、水系感染症をもたらす病原性細菌と似たような挙動を示し、糞便汚染の指標性に優れています。水系ノロウイルスの多少も大腸菌の存在量で推測することができます。
国土交通省の「下水道におけるウイルス対策に関する調査委員会 報告書 平成22年3月」http://www.mlit.go.jp/common/000116092.pdfには、次のように書かれています。(長い引用になります。一部要約しました。)
『 毎年、冬季になると、感染性胃腸炎患者の報告数が増加し、社会的な関心が高まっている。感染性胃腸炎の原因は、ウイルスや細菌等であり、冬季に発生する感染性胃腸炎の多くは、ノロウイルスが原因と推定される。ノロウイルスについては、まだ解明されていないことが多く、様々な分野で研究が行われている段階である。
下水道分野においても、ノロウイルスをはじめとする病原ウイルスについて、その挙動や下水道から排出された後の公共用水域への影響等を体系的に行った調査は、定量的な測定方法が近になって開発されたということもあり、国内のみならず海外においても極めて少ない。
ノロウイルスは、人の体内で増殖し、排泄されることで下水道に大量に流入することになり、下水処理場におけるノロウイルス除去の役割は重要である。
また、下水処理水については、その放流先が水産水域となっている場合や水道水源となっている場合、下水処理場内外において再利用されている場合がある等、水系リスク低減の観点からも、ノロウイルスの下水道施設における挙動実態や除去特性、放流先公共用水域における挙動の把握が急がれている。』
『 貝類などの汚染は、感染者から排出される糞便を処理する下水処理場、し尿処理場及び浄化槽の処理水に微量に含まれるノロウイルスが環境水に放出され、環境水がノロウイル スに汚染されることが原因の一つであると考えられている。
環境水中のノロウイルスは 1 日に大量の環境水を体内に取り込んで摂餌している二枚貝類の中腸腺に蓄積されて長期にわたり保存されるので、環境水中のノロウイルス濃度が希薄であってもこれらの貝には感染可能な量のウイルスが存在する場合があり、これを加熱不十分な状態で摂取することにより感染すると考えられている。
① 流入下水中のノロウイルス濃度
流入下水中のノロウイルス濃度が増加する時期は、感染性胃腸炎の流行時期に概ね一致していた。
② 放流水中のノロウイルス濃度 放流水中のノロウイルス
・・・・・・・・・・・しかし、高度処理活性汚泥法に凝集剤を添加しているJ処理場や高度処理活性汚泥法 と繊維ろ過を組み合わせている I-2 処理場、オゾン消毒を行っている D 処理場、OD 法 の L,M 処理場では流行期においても検出率が低く、膜分離活性汚泥法の R 処理場では検出されなかった。』
以上の引用文から読み取れることは、感染性胃腸炎の流行時期に流入下水中のノロウイルス濃度が増加し、通常の処理を行っている下水処理水ではノロウイルスが除去できないということです。
次に、前回掲載した文の一部を再録します。
『 お台場の水質悪化は、雨天時に下水道からあふれ出た汚水が原因です。なぜ下水道から汚水があふれるのでしょうか。合流式下水道だからです。区部の下水道は、約8割が合流式下水道区域です。合流式下水道は、家庭やビル、工場などからの排水と雨水を併せて一本の管で集める方式の下水道です。一本の下水管(管渠)で浸水対策と水洗化を行えるため、早くから下水道に着手した都市では採用されました。合流式下水道では,雨が降ると下水管に流れ込む水の量が増えます。下水管や処理場の能力を超える量の雨水は、汚水と混ざったまま未処理の状態で河川や運河、海に放流されます。晴天時の汚水量の3倍程度は雨天時でも下水管に流せるといわれていますが、それを超えると一気に越流するのです。例えば目黒川や神田川の護岸をみると丸型や四角の穴(吐口)があいていますが、ここから汚水と雨水が混ざったもの(越流水)が出てくるのです。汚水にはトイレ排水も含まれていますので、糞便由来の大腸菌が多く含まれています。その結果、川や海の大腸菌数が晴天時に比べて高くなるのです。』
合流式下水道の雨天時排水(生下水と雨水が混ざったもの。初期の越流水はかなり汚い。)は、大腸菌だけでなく、ノロウイルスの問題もあるのです。合流改善策は長期間かかりますが、できるだけ早く進めて、安全な川や海をとりもどしたいものです。
2020・4・11 記
参考資料
ウイルスってなんだろう 岡田吉美 岩波ジュニア新書 2005年4月発行 岩波書店
感染症 井上栄 中公新書1877 2006年12月発行 中央公論新社
下水中ノロウイルス濃度情報発信サイト https://novinsewage.com/
巻頭のカバー写真は東京都府中市を流れる多摩川。関戸橋の橋脚から上流を望む。